P5感想。乱分
ペルソナ5をクリアしました
二年がかりでクリアしたぞおおおおおおおお!!!!(投稿時期は7月ですがクリアしたのは3月くらいです)
ほんとに時間かかりました。いや、別ゲーもたくさんやってたし、お仕事疲れるし、社会人だからしゃーなしと言えばそうなんですけど。
「エンディングまで2年かかるとか、序盤のほうとか覚えてないだろww」
そう思うじゃないですか?
ぜんっぜん! むしろ最初の鴨志田偏編こそよく覚えているぐらい!
廊下を歩けば「死ね」とか「学校来るな」とか心を折る言葉がヘッドフォンからささやかれる。知らない他人のために動くことが正義なのか、それはただ力を持ったものの鬱憤晴らしじゃないのか。そんな疑いを持って動かずにいたら自殺未遂とその犯人候補に引きずりだされて否応なくRPGの舞台に上がる周到なシナリオ!
最初からアクセル全開のブラックストーリーに惚れ惚れしました。最後まで好きでいられてよかった。
ラストバトルなんてもう『ぼくらのウォーゲーム』ですよ! 私自身が本気で主人公をやってたし、なんだったらデジモンの太一になり切って世界を救ってた
ここまで主人公としての没入感を味わえたのは『undertale』以来だった。undertaleやってて思ったんですけど、魅力的な住民(P5なら大衆)を救えたからこそ嬉しい気持ちが湧いてくるものなんですね。
どうでもいい他人とか、悪いことばかりしてる国家とか、戦争好きな帝国がある世界とかを救うんじゃなくて、私を英語にしてくれる人がいる世界を助けたんだ! という実感が最高に気持ちよかった
P5のラストバトルで三島が声を張り上げたり、怪盗chがMAXになったり(バレンタインデーの日にわたしを殴った医者と教師が応援してくれてたり。最後の最後で仕込みやがって演出がにくいんだよお!)
どれだけ面白かったかを語りたいんですけど、長い長いあの一年を語るだけの語彙も記憶力もないため、覚えてることを覚えてるままに書き連ねます。
乱分となりますがご了承ください。
P5は最初から最後まで「大衆」という存在が常に画面に映りこんでいました。周囲だったり、数値に現れたり、つぶやきに現れたり。
P3やP4は秘密組織やグループに所属していて表に出てこないパターンが多かった一転、P5は主人公属する怪盗団という名前が人目につき噂される情報社会らしい設定でした。
この「大衆」がとても精細に日本社会を表現していました。
コロナで自粛ムードとか老人がハッスルしてウイルスを拡散とか(3月の話)の社会情勢と比較しながらプレイしていたこともあり、余計にそういった部分が目についたのかもですけど。
大衆の無気力さ。
P3でも無気力症がありましたけど、それよりもっと生々しく描かれていていた。大衆は自分たちで選択をせず、誰かに任せるという自由を選択する。それが支配されているということだと指摘するモルガンア。
大衆の欲望への抑圧。
出る杭を打つことを悲観しながらも、流れに任せることで自分自身に杭を打ち、自覚なく自らを監獄に閉じこめて互いの監視をする看守の存在まで生み出す。この生々しさを表現する比喩まですばらしかった。
メメントスの最下層はまるで地獄めぐりで、それでいて大衆とうものを魅せられて全編のシナリオはこれでもかと世間を落とし込んでいました
そもそも、P5noシナリオ嬢で相手になるのは大衆に受け入れられているが欲望のままにしている人間たちです。対して描かれる大衆は自らを監獄に閉じこめて人生の選択を誰かのなすがままにしている人間。
現実と比較して、
「はぇ~^ぴーふぁいぶのシナリオ通りじゃないか!」
と。
眠たいのでこれだけ。追記すると
思う