無償の愛などないという結論 『さよ朝』感想
裁量労働制でらくなお仕事して定時前に帰りたいと常々思っている青色姫草です。
まいにち一日十時間労働です……おかしいよなあ!?
やりたいことのタスクが増えてるはずなのに、社畜生活してるといつの間にか全てがどうでもよくなっていく日々、みなさま如何お過ごしでしょうか(初春の挨拶)
平日なのにアニメの一本も観られない。労働に割くエネルギーソースが多すぎる。一日一人自殺してても驚かないし、なんだったら目の前で人身事故起きても納得するまである。
毎日ご飯を作ってくれる両親がいなかったら間違いなく仕事なんて二日でやめてる。
そんなこんなで『さよならの朝に約束の花をかざろう』の感想日記です。
*ネタバレあり
だーまりが監督するということで「まあ観るか」と。多忙の皺寄せで日曜朝の池袋まで走って観に行きました。
総評だけ先に言うと、素晴らしかった。
記憶を持ったまま、何度も繰り返して見られるし見たい。作中に込められた感情線に触れるたびに、わたしの現実とリンクして、気づきを得て、涙が出る。
以下、気になった点と解釈をだらだら(時系列がバラバラで申し訳ない。社会人的には申し訳ありませんでした)
1.エリアル「わからないんだよ! どうしてあの人が俺に優しくしてくれるのか」
作中でひときわ胸に残った台詞でした。(台詞間違ってたらごめんなさい。脚本が欲しい)
赤ん坊のころ、イヨルフのマキアに拾われて育てられたエリアル。マキアは母親ぶるが、年を重ねるごとにその存在がエリアルには不可思議な存在にしか感じられない。
母親ってなんだ。
マキアとエリアルに血のつながりはない。エリアルの両親にマキアは一切の関係がない。マキアがエリアルの人生に関わる意味がない。
苦しんでまで、苦労してまで、エリアルを育てる理由がマキアにはない。なのに、どうしてあの人は……!
(恋愛感情に近いナニカも感じていただろうけれど、本筋と外れるのでこの話の中では除外します)
エリアルは自身を育てるために奮闘するマキアがわからない。
まるで反抗期みたいに変貌する感情。
マキアを労わる優しさが、マキアの大人としての振る舞い(子を守ろうとするために自分の身を投げうつ)に怒りが沸く。沸いてそう。
自分のために他者が自己犠牲をしていると不思議なことに腹が立つものなんです。「もっと自分のために生きろよ!」とか、わたしなら言いたい。現実なら絶対に言わないし言えないけれど。
『さよ朝』はマキアという長命種が母となり、息子のエリアルが人生を歩むお話です。
激動の時代でありながら普遍的に生きる二人は、”親子”という不変の関係性を軸に離れない。
その”親子”について。
「わからないんだよ! どうしてあの人が俺に優しくしてくれるのか」
マキアがエリアルを母親として愛する理由。
この答えを考えるための映画だったとわたしは感じました。
その答えは、決して「母親だから」ではない。
生まれて最初にもらうのは名前じゃなくて両親からの愛情だ、とは持論です。…即興ですが。あながち間違ってはいないと思います。
要は「この愛情の出どころを突き詰めたら」どこに何があって、どういう器官が産みだすのか、みたいなことを言うとすこしBUMPぽい…ぽくない?
母がくれるものは「無償の愛」では決してない。だったら尚更、愛の出所がわからない。
この答えが、マキアとエリアルがメザーテで最後に交わした会話なのだと考えています。
「母さん!」も含めて。
流石に全セリフは書き出せない(記憶力的な問題で)ので、詳しくは円盤が出たら買ってね! わたしも買います。というか劇場にもう一度あしを運びたいんだけれど時間がなあ……。PAworksの本社で映写会とかしないですかねしないですねはい
2.ガッツリファンタジー作品だった
だーまりがファンタジー作品を創った という前情報はあったのですが「ファンタジーとはいっても主軸は恋愛ものだろうなあ」と考えていました。
序盤から度肝を抜いてきましたね。
……まあ、だからといってじゃあ主軸がファンタジーだったかと訊かれると怪しいですけど
長命種を視点に、人の(身体的な)成長や時代の変遷がわかりやすくストーリーに投影されていたのは好みでした。
マキアが酒場で働くシーンとか、エリアルが鉄工場に勤めるとか。時代性のリアルが主人公たちのパーソナリティに表れるのを、言葉なしで説明するのは匠の技だと感じたことを記しておきます。
…なんでこいつはエラソーに上から目線なのか!はっきり言えよ酒場のマキアが可愛かったって言えよ!!!(脱線)
3.レイリア 「こんな飾り立てないと抱けないというのなら、わたしなんて(なんて、とは言ってなかったかも)放り捨ててしまえばいいのに!」
「ひとりぼっちは嫌!」のシーンの入りの台詞ですね。心が追いつかなくて台詞が上手く聞き取れなかったので、多分にニュアンス間違いが発生しております。
「なんて」とあのレイリアが言うのかとか。だから脚本集の発売、はよ。というかどのアニメも脚本集出して欲しいと常日頃から――
台詞と画からレイリアが自暴自棄になっている風に読み取れる。
ただ、わたしはこの台詞でレイリアのプライドを感じた。
レイリアがどんな人生を歩んできたかは言わずもがな。子作りをしないと命もない立場であっても、宝石をちぎり捨てながらこの台詞を吐くことができる。女性としてのプライドがこの一言に詰まっていそう……?
装飾がなければ抱く気も起きないですって?装飾ばかりでわたしの本質さえ見えてないのに! みたいな風にも感じた。やっぱりニュアンスが違うんだけれど。
説明ができないから飛ばします。
ついでにクリムの話も飛ばします。なんか深く話し始めたら映画全体を通しての”性差”についての話になりそうなのですが……目に見える地雷だからね! これに関しては頭の中を吐露する前に、他の人の解釈など参考にしてから追記します。
4.タイトル『約束の花をかざろう』
『さよ朝』で有名な今作の下の句です。
「こいつ本当に映画みたのか?」と思われることを百も承知で言うなら、このタイトルにした理由がわからないのですたい。
「花? 花なの? 花なんてどっかにあった???」みたいな感じです。いや、花はありましたけどね。でもタイトルにするならヒビオルと掛けた感じの方が、みたいには思いました。
映画を観てからブログを書くまで時間が空いたのは、これについて考えていた部分が大きい(けど九割は社畜生活のせい)。
約束 = わかる
花 = ラストシーンのたんぽぽとかけている?
かざろう= か、かざ……かざろう?
みたいな感じです。もう少し考えて、なにか思いついたら追記する感じです。
もう割と頑張って起きて日記かいてますが眠くて死にそうなのであうあうあー。
以下、雑記
4月の電撃大賞、そもそも遅れてません。社会人なっても執筆できんだろ、とか甘えてた3月のアホを殴りたい。書きかけは5月のGAに回すかもしれませんが、今は心の保養が第一なので好き勝手に書ければそれでいい、みたいな想いが強い。
『ワールドエンドジャーニー』という短編をアホみたいに長い通勤時間の間に書いてるので、もし完成するようなことがあれば投稿します。
初任給でエロゲを買うつもりだったけれど、普通にそんな体力がない。気力もない。ついでにかずきふみさんのやつが延期したから買うものもない! 5月待ってます。
最近、『弱キャラ』を隅々まで読み直しているので、6巻が出る前までに『ラスボス諭』とかなんとかテキトーな題名をつけて感想日記を書きます。書くかもしれません。書かないかもしれないなあ……。
そんな感じです。また何かあれば追記します。
青色姫草でした。