ヽ(^o^)丿わああああい!!!夏休みだあああああ!!!
というわけで『竜とそばかすの姫』のネタバレあり感想記事となります。
『竜とそばかすの姫』
ryu-to-sobakasu-no-hime.jp
あらすじ
日本の片田舎に住んでいる容姿に自信がない普通の少女・鈴。
彼女は全人類50億人がアカウントを持つ仮想現実SNS『U』でHN・Bellとして活動を開始する。Bellの等身大の歌詞と歌声は大きなうねりとなって、Bellは『U』の中で大人気歌手となった。
一大イベントのBellのライブに、唐突的に狼のAs・竜が割り込んできた。竜と自分たちを正義の執行者であると豪語するジャスティスたちのバトルでライブは中断。
鈴(Bell)は竜に会いに行こうとする。
感想
仮想世界での成長が現実にフィードバックする形の成長の物語だった。
序盤
現実で歌うことのできない鈴が、仮想世界のBellになると歌を歌えるようになった。
中盤
仮想世界で歌を歌っていた鈴が、現実の河川敷で声を出して歌う。
ジャスティスにアンヴェイルされかけたときに必死に怯える
・自分の姿を衆目に晒すことへの恐怖
・暴力への恐怖(普通の生存本能)
終盤
ジャスティスにアンヴェイルを向けさせる
・自分の姿を衆目に晒すことへの恐怖の克服
児童虐待父の目の前に出て怯まない
・暴力への恐怖に打ち勝つ心の芯を持つ
仮想現実の世界でできるようになったことで現実世界を好転させる。
仮想空間が逃げ場のようになっていた時代(それこそ『サマーウォーズ』ぐらいの)から、仮想空間が現実と地続きになっている世界が現れている映画だった。
最後に母のように立ち向かった鈴のシーンはよく描かれていた。
……と思う。(以下は愚痴)
リアリティを追求すると「絶対にそうはならんやろ」みたい展開が多かったり、キャラクターが役割や書割通りにしか動いていないように感じてしまって、最後の最後の展開に感情移入する気力が残っていないとも思うけど。
もうばっさり観ている側の人間の共感とかは捨ててる気がした。
『美女と野獣』をモチーフにしたのは、視聴者に対して子供が童話を読んだときみたいに都合のいい部分だけ耳障りよく覚えておけばいい、みたいな監督からのメッセージなんじゃないすかね(鼻ホジ)
脚本のリアリティの追求に関しては必要な部分と不必要な部分があるんだろうし、そこの取捨選択はそりゃもう制作サイドに信頼を置くしかないんだけれど、それにしたって説明が無さすぎて後半は「ふーん」としか思えなくなってた。
特に『U』の説明が全体的にふわっとし過ぎてて「俺の考えた最強の異世界」みたいな独自設定だけをこじつけてくるの見てて考える気なくしちゃうのが痛かった。
全部がメタファーだからそういう技術・機能面での細かいことを気にするんじゃねえよ! と言い切るには時代が仮想空間やメタバースに追いつきすぎてるから宇宙空間でバトルするSFみたいには切り離せない。かと言って技術的に説明しようとすると「アバターの仕組みは? 狼の周りにいたAIは? オレンジ色の光は何?」みたいな疑問が噴出する。
それと個人的には、最後のシーンでDV父が左腕を振りかぶってるのも謎かった。
(これに関しては納得いく理由もありそうなので、観た直後の感想としてお読みください)
・左腕に腕時計をしているから明らかに右利き。
・女性(女子高生)の顔を引っ搔いて家の外で怒鳴り散らすほど冷静さを失っている。
この状態で左腕を振りかぶった理由ある?
勿論、絵的に言えば右側から左側に向かうのが漫画表現を培ってきた日本人には伝わりやすく、手前に腕がある左腕のほうが迫力があって描きやすい。また、腕時計のような装飾物を付けることで、ジャスティスを想起させて正義の自分ルールとDV父の家庭内暴力の共通項を想起させる役割があるのだと考えられます。
けど、左腕かぁ。
と思ってしまい、なんだかちぐはぐな印象の場面のように感じられました。
これに理屈をつけるなら、普段から子供を殴るときに利き腕ではなく左腕を使っているなどが考えられます。
これで個人的には納得しているのですが、『竜とそばかすの姫』はこういう「作中の情報に無理やり自分の考えた設定を足して無理やり納得」みたいなことが多い映画でした。
わかりやすさはいいことだと思うんですよ。
少なくとも2時間わけわからないものを眺めて楽しめる人はマジョリティではないはずなので。
補足
鈴が仮想世界に飛び込んで歌で承認されるのは、ネット世界でアバターやキャラクター(タレントぽさみたいな意味合い)のような別のペルソナを持つ現代人と近い。
『U』にログインしてすぐにベル(鈴のアバター(Az(注釈が多い!)))が歌を歌って、それを他人が見ることができる状態だった。これは誰もがクリエイターや配信側(売り手側)に安易に回れる時代性が現れていると思った。
終盤にアバターを鈴の姿にして歌ったシーンで、母を思い出すのはそこ単品で切り取るとすごいよかった。
全体的に鈴と鈴の母だけで話が構成されていたら本当に余計な雑念を抱かず面白かったと絶賛できたと思う。
友人キャラの子が終盤に「鈴は人前でなんて歌えないよ!」っていうのが、一種の枷にも聞こえたし、子供のときに母親に行かないでってがみつく鈴自身にも例えられそうだった。台詞からだと微妙なニュアンスわからんくて「どっちだぁ…?」てなるた。
虐待された子供のその後についてはボカしてあるのよかったと思う。
理想論ですが、虐待自動がいたときにその未来が「DVしている家族の逮捕」になることが必ずしてもハッピーエンドではないじゃん? というか「虐待がなくなる」と「子供の傷が完璧に癒える」が最善手であって、家族の逮捕は虐待をなくす手段だと思っています。
なので、他の人の批評を観たときに「最後に警察出せよ」みたいなのを見るとちょっともにょっちゃったな!まあでも警察出てたら私もハッピーエンドぽく感じていただろうから人のことは言えない。
総括
面白かった。
脚本の粗探しをしたら山のように変な部分や指摘したいところがあって、ネットにはそれが溢れてそう。けど、たぶん探せば探すだけいいところも見つかる作品だと感じた。
他のキャラクターを人ではなく人形だとしたうえで「鈴の話」だと思えば話はすごい好きな部類だった。
欲を言えば説明をもっと欲しかった。
感情面とか人間関係とか人物描写より、機能やシステム面がおざなり過ぎて話についていけなかった面が多かった。
※鈴が竜に惹かれた理由については、本能的に「助けるべき子供だと見抜いた」という解釈で通しています。それでも「あなたは誰?」の台詞の意図はわからなかったけれど。
そんな感じです。
ブログにするにあたって結構メモから省いているから追記するかも。
特に、「あなたは誰?」の台詞の意図が本当に理由がわかってないから、思いついたら追記するかもです。
以上!